俺の家族
- 2008-05-06
- 22:19
GWももう終わりますね〜
明日から仕事や。。
どんなGW過ごしました?
今日は外出もしてないし、特に書くことがないねん。
せやから「谷中シリーズ」でいこうかと。
今日のテーマは「家族」やね。
ちなみに家族構成は親父、おかん、兄貴です。
【親父】
親父は大学職員で今年で定年(のはず。。)
親父は俺にとってほんまに尊敬できる存在。
親父の家は武家の家系らしくて(はしくれって言うとったけど)、
跡取りである長男が「これほどかっ!」ってほど大事にされるらしい。
戦時中で貧しくて食事に困ってたときでも、一家の大黒柱である父親(俺にとってはじいちゃん)と長男(田辺のおっちゃん)には白米が用意されたらしい。
親父は8人兄弟(しかも全員男)の末っ子やから親じゃなくて兄弟に育てられた子やし、学校なんかも行かせてもらえへんかったらしい。
それでも親父は自分で働いて金貯めて、夜学やけど大学まで卒業したんよ。
しかも、大学卒業する頃には当時のお金で300万も貯金してたらしい。
それも、家にお金入れながらやで。
相当苦労したんやろなってあほでもわかる。
親父は俺らには同じ苦労は絶対させへんかった。
俺らを旅行にいっぱい連れて行けるように、習い事もできるように、
私立の学校に行っても大丈夫なようにしてくれた。
兄貴のダイビングの趣味のためにいくら親父の金が飛んだことか(笑)
それだけでも十分感謝してる。
でも、俺が親父のことを本当に尊敬したのはあの時やった。
まだ子供やったけど、子供ながらにすごいんやなって思った。
親父は俺ら実の子供だけじゃなくて、経済的な事情で大学進学を断念した甥っ子の大学の学費を払ってた。
甥っ子の隆ちゃん(俺の従兄弟ね)が学びたいこと学べるように。
それを知った時、本当に親父を尊敬した。
隆ちゃんは卒業後わずか数年、20代やのに癌で死んだ。
でも、あの時隆ちゃんがほんまにやりたくて、でも経済的事情で一度は断念したことをやれてほんまに幸せやったろうと思う。
俺にはまだ親父みたいなでかい器なんてないけど、いつまでも親父の背中を追いかけたい。
【おかん】
おかんは今は専業主婦やけど、昔は生命保険会社で働いてたらしい。
おかんはすげー効率よくなんでもテキパキやりよるから相当仕事できたやろなって思う。
親父は尊敬してるけど、感謝っていう点ではおかんのほうがしてると思う。
おかんは過保護やねん(笑)
俺はこれでも最初は手のかからない良い子ちゃんやってんよ(笑)
でも、最終的にはその過保護さに甘えるとこは甘えて、突っぱねるとこは突っぱねてきた。
例えば、俺は中学から私立に入れられるはずやった。
その為に小4の時に市内で1番合格率が高い塾の入塾試験を受けさせられ、しかもうかってもうた。
それが親が敷こうとしたレールやった。
でも、「イヤや、遊びたい。」
その一言で塾には行かず、その瞬間から親が敷いたレールからは外れた(笑)
あれが今の尖がった俺の原点、分岐点になった瞬間かなって今になってみて思う。
そのくせ、中学時代は部活と塾を無理に掛け持ちしたいと言い出した。
行きたい高校があるから塾に行く、部活も1年でやめる約束やった。
でも、中学になってサッカーを始めてみたら、1年で辞めて塾に専念するには勿体ないくらい面白かった(笑)
結局、塾の教科書や晩飯の弁当が入ったかばんをおかんに毎日学校まで持ってきてもらうことで、部活が終わってから多少遅れて塾に行くという離れ業を実現した。
今考えるとおかんの過保護さに甘えてた。
親父はもともと俺のことには口出ししない親やった。
口出しするのはいつもおかん。
でも、最後はそんな風に俺を自由にしてくれたから今の俺がいる。
そういう意味でおかんには感謝してもし尽くせない。
【兄貴】
兄貴は俺の5歳年上。
だから昔は喧嘩しても絶対勝てへんかった。
兄貴は俺の正反対の人生を行ってると思う。
俺はまだ適当なとこあるけど、兄貴は「気違いかっ!」て思うくらい神経質。
俺はベンチャー、兄貴は公務員。
俺は集団スポーツ、兄貴は個人競技(陸上、フェンシング)。
唯一、辿って学歴だけが兄貴を追いかけるようになってしまった。。
御室小学校→双ヶ丘中学校→立命館高校→立命館大学
(あいつは大学院まで行ってるけど)
そんな兄貴も去年の秋にやっと結婚した。
「自分のものは自分のもの、お前のものも自分のもの」っていう自己中でやたらプライド高い性格やから「こいつ結婚できんのか!?」って思ってたけど(笑い)
でも、嫁さんがすごいしっかりした人でよかった。。
絶対尻にしかれるけど(笑)
なんか兄貴に関するコメントだけやたら薄いけどこのへんで。
家族のこと書き始めたらやっぱきりないわ。
明日から仕事や。。
どんなGW過ごしました?
今日は外出もしてないし、特に書くことがないねん。
せやから「谷中シリーズ」でいこうかと。
今日のテーマは「家族」やね。
ちなみに家族構成は親父、おかん、兄貴です。
【親父】
親父は大学職員で今年で定年(のはず。。)
親父は俺にとってほんまに尊敬できる存在。
親父の家は武家の家系らしくて(はしくれって言うとったけど)、
跡取りである長男が「これほどかっ!」ってほど大事にされるらしい。
戦時中で貧しくて食事に困ってたときでも、一家の大黒柱である父親(俺にとってはじいちゃん)と長男(田辺のおっちゃん)には白米が用意されたらしい。
親父は8人兄弟(しかも全員男)の末っ子やから親じゃなくて兄弟に育てられた子やし、学校なんかも行かせてもらえへんかったらしい。
それでも親父は自分で働いて金貯めて、夜学やけど大学まで卒業したんよ。
しかも、大学卒業する頃には当時のお金で300万も貯金してたらしい。
それも、家にお金入れながらやで。
相当苦労したんやろなってあほでもわかる。
親父は俺らには同じ苦労は絶対させへんかった。
俺らを旅行にいっぱい連れて行けるように、習い事もできるように、
私立の学校に行っても大丈夫なようにしてくれた。
兄貴のダイビングの趣味のためにいくら親父の金が飛んだことか(笑)
それだけでも十分感謝してる。
でも、俺が親父のことを本当に尊敬したのはあの時やった。
まだ子供やったけど、子供ながらにすごいんやなって思った。
親父は俺ら実の子供だけじゃなくて、経済的な事情で大学進学を断念した甥っ子の大学の学費を払ってた。
甥っ子の隆ちゃん(俺の従兄弟ね)が学びたいこと学べるように。
それを知った時、本当に親父を尊敬した。
隆ちゃんは卒業後わずか数年、20代やのに癌で死んだ。
でも、あの時隆ちゃんがほんまにやりたくて、でも経済的事情で一度は断念したことをやれてほんまに幸せやったろうと思う。
俺にはまだ親父みたいなでかい器なんてないけど、いつまでも親父の背中を追いかけたい。
【おかん】
おかんは今は専業主婦やけど、昔は生命保険会社で働いてたらしい。
おかんはすげー効率よくなんでもテキパキやりよるから相当仕事できたやろなって思う。
親父は尊敬してるけど、感謝っていう点ではおかんのほうがしてると思う。
おかんは過保護やねん(笑)
俺はこれでも最初は手のかからない良い子ちゃんやってんよ(笑)
でも、最終的にはその過保護さに甘えるとこは甘えて、突っぱねるとこは突っぱねてきた。
例えば、俺は中学から私立に入れられるはずやった。
その為に小4の時に市内で1番合格率が高い塾の入塾試験を受けさせられ、しかもうかってもうた。
それが親が敷こうとしたレールやった。
でも、「イヤや、遊びたい。」
その一言で塾には行かず、その瞬間から親が敷いたレールからは外れた(笑)
あれが今の尖がった俺の原点、分岐点になった瞬間かなって今になってみて思う。
そのくせ、中学時代は部活と塾を無理に掛け持ちしたいと言い出した。
行きたい高校があるから塾に行く、部活も1年でやめる約束やった。
でも、中学になってサッカーを始めてみたら、1年で辞めて塾に専念するには勿体ないくらい面白かった(笑)
結局、塾の教科書や晩飯の弁当が入ったかばんをおかんに毎日学校まで持ってきてもらうことで、部活が終わってから多少遅れて塾に行くという離れ業を実現した。
今考えるとおかんの過保護さに甘えてた。
親父はもともと俺のことには口出ししない親やった。
口出しするのはいつもおかん。
でも、最後はそんな風に俺を自由にしてくれたから今の俺がいる。
そういう意味でおかんには感謝してもし尽くせない。
【兄貴】
兄貴は俺の5歳年上。
だから昔は喧嘩しても絶対勝てへんかった。
兄貴は俺の正反対の人生を行ってると思う。
俺はまだ適当なとこあるけど、兄貴は「気違いかっ!」て思うくらい神経質。
俺はベンチャー、兄貴は公務員。
俺は集団スポーツ、兄貴は個人競技(陸上、フェンシング)。
唯一、辿って学歴だけが兄貴を追いかけるようになってしまった。。
御室小学校→双ヶ丘中学校→立命館高校→立命館大学
(あいつは大学院まで行ってるけど)
そんな兄貴も去年の秋にやっと結婚した。
「自分のものは自分のもの、お前のものも自分のもの」っていう自己中でやたらプライド高い性格やから「こいつ結婚できんのか!?」って思ってたけど(笑い)
でも、嫁さんがすごいしっかりした人でよかった。。
絶対尻にしかれるけど(笑)
なんか兄貴に関するコメントだけやたら薄いけどこのへんで。
家族のこと書き始めたらやっぱきりないわ。
俺の昔の夢、スポーツエージェント
- 2008-04-29
- 22:58
昨日の続きですが、俺はスポーツエージェント(代理人)になるのが夢でした。
その夢を持ったのは中学3年の時。
2つのきっかけが偶然重なって持った夢やった。
1つは「ザ・エージェント」っていう映画。
実在のスポーツエージェントをモデルにした映画で、プロスポーツ選手を裏で支える働き方、クライアントであるプロスポーツ選手との深い絆、いろいろなものに感銘を受けた。
もう1つはプロ野球の古田(当時選手)の代理人問題。
それまで契約交渉時の代理人交渉は前例がなく、タブー視されていたけど、古田が初めて代理人交渉を持ち込んだ。
近鉄がなくなって楽天が出来た時くらいプロ野球界が激震した瞬間やった。
古田の代理人問題が騒がれている時期に偶然か狙ってかテレビで放送された「ザ・エージェント」をこれまた偶然見てしまった。
で、「俺はとても選手としては活躍できひんけど、スポーツとはずっと関わってたいし、こういう関わり方はいい!スポーツエージェントになりたい!」って(笑)
単純やろ?
きっかけはそんなもんやった。
でも、そのきっかけで俺の行動は変わったよ。
まず高校の志望校が変わった。
それまでは親が希望してた府で一番の新学校を受験する予定やった。
でも、立命館高校に志望校を変えた。
立命館大学でスポーツビジネスが勉強できるから、そこにエスカレーターで入れるから。
男子校がイヤやったとか、また受験するんイヤやったとか、部活思いっきりやりたかったとか、理由は他にもあったけど志望校を2ランクぐらい落とした。
塾の先生にも、親にも思いとどまれってずいぶん言われたけどな(笑)
高校入ってみたらスポーツビジネスの学科にエスカレーターで上がれる枠は
たったの6つってわかった。
で、学年の生徒数は350人くらいで、希望者は50人以上。
しかも成績上位者から希望する学部学科を選択できる。
さすがに焦ったね。
だから普段は授業爆睡してたけど、テスト前は真剣に勉強したよ。
「スポーツエージェントになりたい。だから大学でスポーツビジネスの勉強をしたい」っていう思いがなかったらきっとあんなに勉強せーへんかったと思う。
そうやって希望の学科に行ける切符を勝ち取った。(ギリギリ6人目で)
ほんとはね、一時期法学部に行くべきか迷ってた。
日本でサッカー選手のスポーツエージェントとして活動する為には規則があって、FIFA(世界サッカー連盟)公認の代理人資格を持ってるか、もしくは弁護士じゃないとスポーツエージェントにはなれへんかった。
しかもFIFAの試験を受ける為にはJリーグのチームか、都道府県のサッカー連盟の推薦が必要で、当時高校生の俺にはそんなコネなかった。
つまり、弁護士になるしかほぼスポーツエージェントになれる道はなかった。
だから普通に考えたら法学部に行って弁護士目指すのが筋やった。
でも、それを知っててスポーツビジネスの学科に進学した。
反感があってん、そういうスポーツエージェントに。
「スポーツビジネスのこと何も知らん弁護士にスポーツエージェントの何がわかんねん!そんなんほんまのスポーツエージェントちゃう!」って(笑)
だから俺は回り道してでもスポーツビジネスがわかるスポーツエージェントになってやるって。
単に尖がってましてん。(今でも尖がってるって言われるけど)
でも、ちゃんと法曹への道も歩みかけたんやで。
そう、大学ん頃タイミングよく法科大学院ができたんよ。
とんだ勘違い野郎やけど「俺のためにできた制度や」って真剣に思った(笑)
だからダブルスクールで勉強して、飛び級で法科大学院の試験を受けた。
結果は上々。でも、もうちょっとスポーツビジネスの勉強したかった。
研究したいテーマもあったし。(ちゃんと卒論でやり遂げた)
そうこうしてるうちに就活しちゃって。。
就活したら今までの自分の小ささを感じた。
見てる視野が狭かった。
新鮮な体験が一杯出来た。
いろんな奴に出会った。
そしたら違う夢が見えてきた。
そっちの夢に突き進みたくなった。
この時、スポーツエージェントが過去の夢になった。
その夢を持ったのは中学3年の時。
2つのきっかけが偶然重なって持った夢やった。
1つは「ザ・エージェント」っていう映画。
実在のスポーツエージェントをモデルにした映画で、プロスポーツ選手を裏で支える働き方、クライアントであるプロスポーツ選手との深い絆、いろいろなものに感銘を受けた。
もう1つはプロ野球の古田(当時選手)の代理人問題。
それまで契約交渉時の代理人交渉は前例がなく、タブー視されていたけど、古田が初めて代理人交渉を持ち込んだ。
近鉄がなくなって楽天が出来た時くらいプロ野球界が激震した瞬間やった。
古田の代理人問題が騒がれている時期に偶然か狙ってかテレビで放送された「ザ・エージェント」をこれまた偶然見てしまった。
で、「俺はとても選手としては活躍できひんけど、スポーツとはずっと関わってたいし、こういう関わり方はいい!スポーツエージェントになりたい!」って(笑)
単純やろ?
きっかけはそんなもんやった。
でも、そのきっかけで俺の行動は変わったよ。
まず高校の志望校が変わった。
それまでは親が希望してた府で一番の新学校を受験する予定やった。
でも、立命館高校に志望校を変えた。
立命館大学でスポーツビジネスが勉強できるから、そこにエスカレーターで入れるから。
男子校がイヤやったとか、また受験するんイヤやったとか、部活思いっきりやりたかったとか、理由は他にもあったけど志望校を2ランクぐらい落とした。
塾の先生にも、親にも思いとどまれってずいぶん言われたけどな(笑)
高校入ってみたらスポーツビジネスの学科にエスカレーターで上がれる枠は
たったの6つってわかった。
で、学年の生徒数は350人くらいで、希望者は50人以上。
しかも成績上位者から希望する学部学科を選択できる。
さすがに焦ったね。
だから普段は授業爆睡してたけど、テスト前は真剣に勉強したよ。
「スポーツエージェントになりたい。だから大学でスポーツビジネスの勉強をしたい」っていう思いがなかったらきっとあんなに勉強せーへんかったと思う。
そうやって希望の学科に行ける切符を勝ち取った。(ギリギリ6人目で)
ほんとはね、一時期法学部に行くべきか迷ってた。
日本でサッカー選手のスポーツエージェントとして活動する為には規則があって、FIFA(世界サッカー連盟)公認の代理人資格を持ってるか、もしくは弁護士じゃないとスポーツエージェントにはなれへんかった。
しかもFIFAの試験を受ける為にはJリーグのチームか、都道府県のサッカー連盟の推薦が必要で、当時高校生の俺にはそんなコネなかった。
つまり、弁護士になるしかほぼスポーツエージェントになれる道はなかった。
だから普通に考えたら法学部に行って弁護士目指すのが筋やった。
でも、それを知っててスポーツビジネスの学科に進学した。
反感があってん、そういうスポーツエージェントに。
「スポーツビジネスのこと何も知らん弁護士にスポーツエージェントの何がわかんねん!そんなんほんまのスポーツエージェントちゃう!」って(笑)
だから俺は回り道してでもスポーツビジネスがわかるスポーツエージェントになってやるって。
単に尖がってましてん。(今でも尖がってるって言われるけど)
でも、ちゃんと法曹への道も歩みかけたんやで。
そう、大学ん頃タイミングよく法科大学院ができたんよ。
とんだ勘違い野郎やけど「俺のためにできた制度や」って真剣に思った(笑)
だからダブルスクールで勉強して、飛び級で法科大学院の試験を受けた。
結果は上々。でも、もうちょっとスポーツビジネスの勉強したかった。
研究したいテーマもあったし。(ちゃんと卒論でやり遂げた)
そうこうしてるうちに就活しちゃって。。
就活したら今までの自分の小ささを感じた。
見てる視野が狭かった。
新鮮な体験が一杯出来た。
いろんな奴に出会った。
そしたら違う夢が見えてきた。
そっちの夢に突き進みたくなった。
この時、スポーツエージェントが過去の夢になった。
名前の由来
- 2008-04-02
- 21:37
いよいよ新入社員が入ってきたね〜
ジェイックには12人もフレッシュなメンバーが入ってきたよ。
このブログの読者の方々のところでも新入社員は入ってきましたか?
うちの会社は神保町にオフィスがあるんですが、2つのビルに分かれてるんですよ。
新入社員は配属までの数ヶ月は僕がいるほうのビルにいるみたいです。
ほんとに僕のデスクの5mくらい後ろにわんさかいるんで
初々しさに「俺にもこんな時期あったんかな」って思ってしまいます(笑)
同時に「俺ももう3年目なんやなぁ・・。」と。。
少しずつ新卒のみんなとの絡みもあると思うので、
それは随時書くとしてここからは今日の本題へ。
今日は自分の生まれたときのことと名前のことを。
僕は1983年7月29日に京都の第二日赤病院で生まれました。
そう、僕まだ24歳なんです(笑)
仕事をしていて実年齢だと思われたことはほとんどなくて、時には
「32歳?」とか言われたりもするんですよ。(←ヒドイ!!)
「なんだ、新卒か」と思われたりするのがイヤで年齢をごまかして
営業をしてたときもあります。(すいません。。)
でも、ほんとはまだ24歳なんです。マジで。
話ずれましたけど、夏の暑い日の明け方に生まれたそうです。
小学校4年に伊勢志摩に学校から泊まりで行ったんですけど、
そん時にもらった母親からの手紙で知りました。
「あんたは兄貴と違ってすんなり出てきた」
「生んだ後で看護婦さんに飲ませてもらった麦茶がうまかった」
と。。
「拓生」という名前は両親がつけたそうで。
兄貴の時はそれ専門の人につけてもらったみたいやのに。。
「拓生」という名前にどういう願いを込めたのかを聞いたことはないけど、
「自分で自分の人生の道を切り拓いて生きる」と勝手に解釈してます。
ええんかな。。
でも、きっとこの解釈で合ってるんじゃないかと思ってるんです。
僕はこの24年間、かなり奔放に生きてきました。
おかんが兄貴の家族に「こいつは天邪鬼やから」って紹介するくらい(笑)
いや、随所にアドバイスはくれたけど自分の進む道はほとんど自分で決めさせてくれたと言ったほうが正しいかな。
今思うとその「きっかけ」も与えてくれたような気がします。
面と向かってはとても言えんけど、僕が考えている「拓生」という名前に込められた意味のまま、自由に自分のことは自分で決める生き方をさせてくれたことに対して親にはとても感謝しています。
名前が持つ意味、名前が与える影響って大きいと思うんですよ。
自分が親になった時、子供にも自分の願いを込めた名前をつけたいですね。
みなさんは自分の名前に込められた意味はご存知ですか?
お子様にはどんな名前をつけられましたか?
ジェイックには12人もフレッシュなメンバーが入ってきたよ。
このブログの読者の方々のところでも新入社員は入ってきましたか?
うちの会社は神保町にオフィスがあるんですが、2つのビルに分かれてるんですよ。
新入社員は配属までの数ヶ月は僕がいるほうのビルにいるみたいです。
ほんとに僕のデスクの5mくらい後ろにわんさかいるんで
初々しさに「俺にもこんな時期あったんかな」って思ってしまいます(笑)
同時に「俺ももう3年目なんやなぁ・・。」と。。
少しずつ新卒のみんなとの絡みもあると思うので、
それは随時書くとしてここからは今日の本題へ。
今日は自分の生まれたときのことと名前のことを。
僕は1983年7月29日に京都の第二日赤病院で生まれました。
そう、僕まだ24歳なんです(笑)
仕事をしていて実年齢だと思われたことはほとんどなくて、時には
「32歳?」とか言われたりもするんですよ。(←ヒドイ!!)
「なんだ、新卒か」と思われたりするのがイヤで年齢をごまかして
営業をしてたときもあります。(すいません。。)
でも、ほんとはまだ24歳なんです。マジで。
話ずれましたけど、夏の暑い日の明け方に生まれたそうです。
小学校4年に伊勢志摩に学校から泊まりで行ったんですけど、
そん時にもらった母親からの手紙で知りました。
「あんたは兄貴と違ってすんなり出てきた」
「生んだ後で看護婦さんに飲ませてもらった麦茶がうまかった」
と。。
「拓生」という名前は両親がつけたそうで。
兄貴の時はそれ専門の人につけてもらったみたいやのに。。
「拓生」という名前にどういう願いを込めたのかを聞いたことはないけど、
「自分で自分の人生の道を切り拓いて生きる」と勝手に解釈してます。
ええんかな。。
でも、きっとこの解釈で合ってるんじゃないかと思ってるんです。
僕はこの24年間、かなり奔放に生きてきました。
おかんが兄貴の家族に「こいつは天邪鬼やから」って紹介するくらい(笑)
いや、随所にアドバイスはくれたけど自分の進む道はほとんど自分で決めさせてくれたと言ったほうが正しいかな。
今思うとその「きっかけ」も与えてくれたような気がします。
面と向かってはとても言えんけど、僕が考えている「拓生」という名前に込められた意味のまま、自由に自分のことは自分で決める生き方をさせてくれたことに対して親にはとても感謝しています。
名前が持つ意味、名前が与える影響って大きいと思うんですよ。
自分が親になった時、子供にも自分の願いを込めた名前をつけたいですね。
みなさんは自分の名前に込められた意味はご存知ですか?
お子様にはどんな名前をつけられましたか?






